ヒトリゴト
愛着のある土地、愛着のある家
カモノハシコウムテンでは最近「建替え」「リノベーション」「リフォーム」のお問合せが増えています。
先日お引渡しさせていただいたおうちも「建替え」でした。
築30年とはいうものの、シロアリの被害やライフスタイルの変換に伴い、より自分たちらしく住まわれるための建替えでした。
新築の工事を数多く手掛けている立場でいうのもなんですが、愛着のある土地を大切に住み継いでいく、愛着のある家に手を加えて大切にくらしていくことはとても美しく感じます。
人生100年時代。年を重ねるごとに「おうちで過ごす時間」は長くなるものです。そうなると、長く過ごす場所を快適にすることによって人生はとても豊かになるのだと思います。
建築を通じて誰かの人生を豊かにするお手伝いができる、これこそ建築家大工としての最高の贅沢なのかと思います。
画像は先日の見学会にお越しいただいたOB様のお子さんの後姿です。カモノハシコウムテンをいつも応援してくださり、いつも愛してくださるわたしたちにとっても愛おしいお客様です。彼がよちよち歩きのときに家づくりをしていたことを思い出し、懐かしくも月日の流れの早さにいささか焦りますが、愛する人と家づくりができ、お引渡しをした後でもこうして携わることができるのは何とも幸せなことですね。
人の言葉に支えられて
先日、少しモヤモヤすることがあったのですが、いつもお世話になっている友人からこんな言葉をもらいました。
「神さまは、空白を埋める」
その一言で、とても気分が晴れました。振り返れば、これまでもたくさんの方々の言葉に救われ、今の僕があります。
大学院の恩師である堀部安嗣先生からは、「図面に愛がない」とよく叱咤されました。あのときの厳しさがあったからこそ、建築に対する向き合い方や姿勢が大きく変わったと思います。
そして、大工の師匠である梶田和雄からは、「建築した家の前の、道の真ん中を通れる仕事をしなさい」と言われました。昔気質の親方だったので詳しい理由は多く語られませんでしたが、「一軒一軒、お客様に胸を張れる、恥じない仕事をしなさい」という意味なのだと受け止めています。
人からいただいた大切な言葉や教えを胸に、これからも誠実な家づくりを続けていきたいと思います。
ビバ ビレッジバンガード
名古屋にあるヴィレッジヴァンガードの本店が閉店したと知りました。
今は一宮市で工務店をやっていますが、僕の地元は名古屋市です。学生時代は同級生の齋藤と、よくあの本店へ通い詰めていました。
店内に溢れるガチャガチャとした熱量、手書きPOPの面白さ。10代の多感な時期に、あの空間から受けた影響は計り知れません。
実は今でも、引き渡し直前の綺麗なお家より、ご家族が何年か暮らして「生活の味や温かみ」が出てきたお家を見るほうが好きだったりします。モノや思い出がぎゅっと詰まった空間に愛着を感じる原点は、あのお店にあったのかもしれません。
当時買った本で今手元にあるのは『AKIRA』と『ナウシカ』くらいになってしまいましたが、あの店で出合った本や漫画の思い出は、今も大切な宝物です。
齋藤の家があった当時の今池も、飲み屋街と住宅が混ざり合った、どこかヴィレッジヴァンガードの店内のようなごちゃごちゃとした愛すべき街でした。お店のニュースを見ながら、ふと当時の街並みと齋藤の顔が浮かびます。
今夜は久しぶりに、齋藤に連絡してみようかと思います。
息子とアニメの話から、ふと考えたこと
先日、小学生の息子と「今どのアニメが一番面白いか」という話になりました。
私は、あのゆったりした空気感の『葬送のフリーレン』が好きなんですけど、息子は『呪術廻戦』のすごさを熱く力説してくれました。
そんな何気ない親子の会話をしながら、ふと考えたことがあります。
「人は何をきっかけに、何かを好きになったり、美しいと感じたりするようになるんだろう」
私は名古屋の出身なのですが、子供の頃の遊び場といえば、豊かな自然というよりは、高架下のコンクリートの壁や、マンションの隙間にある空き地でした。
大人になって建築の仕事をするようになり、自分が惹かれるものを見つめ直してみると、きれいに整った既製品よりも、コンクリートのひび割れた質感や、ちょっと無骨な木の仕上げに心が動くことに気づきました。
これってきっと、子供の頃に見て、触れて、毎日を過ごした街の風景が、私の感性の根っこにあるからなんだと思います。
そう思うと、子供にとって一番身近な「家の中」が与える影響って、私たちが思っている以上に大きいんじゃないかなと
もちろん「高性能住宅」を造ることは当たり前だと思っています。冬暖かくて夏涼しい、家族が安全に暮らせるというのは、最低限の誠実さだと思っているからです。
でも、数値さえ良ければそれでいい、とはどうしても思えません。
職人が一生懸命に塗った土壁の、ちょっとした凹凸。
年月が経つほどに色が変わっていく、無垢の木の手触り。
夕方、光が差し込んだ時の部屋の陰影。
こういう「本物」の質感に毎日触れて育つことは、言葉で教えるよりもずっと深く、子供たちの感性を豊かにしてくれる気がしています。
家は、ただ雨風をしのげればいい「箱」ではありません。 何十年か経って、息子が大人になった時。
ふとした瞬間に、実家の壁の感触や、柱につけてしまった傷を思い出して、「あの空間、なんか良かったな」と心が温かくなる。
便利さや効率も大事ですが、もっと根っこのところにある、大切なもの。
カモノハシコウムテンは、そんな想いを一棟一棟に込めて、これからも丁寧に向き合っていきたいと思っています。
皆さんがお子様に「残してあげたい風景」は、どんなものですか? そんなお話を、またゆっくり聞かせていただけたら嬉しいです。
まめまめしい人
先日、ある小説を読んでいて「まめまめしい人」という表現に出会いました。
実を言うと、私はこれまでこの言葉に少しだけ「器用で世渡り上手な、どこか打算的な人」というネガティブなイメージを抱いていました。「自分はそんなにマメじゃないから」という、一種の嫉妬もあったのかもしれません。
しかし、気になって改めて調べてみると
「まめまめしい」は「忠実忠実しい」と書く
この言葉の漢字は、「忠実忠実しい」と書くのだそうです。 そこに含まれる意味は、単に「こまごまと動く」ということだけではありませんでした。
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律儀であること
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誠実であること
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献身的であること
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そして、本気で相手に尽くすこと
つまり、小手先のテクニックではなく、その人の「誠実さ」や「真面目な姿勢」そのものを指す言葉だったのです。
家づくりこそ「忠実(まめ)」でありたい
思えば、家づくりにおいて最も大切なのは、この「まめまめしさ」ではないでしょうか。
華やかなデザインや最新の設備、それ以上に重要なのは、住む人のこれからの人生に対してどれだけ「忠実(まめ)」に向き合えるか。見えない構造の部分や、住んの暮らしの細かな変化に、どれだけ「献身的」であれるか。
「世渡り上手」である必要はありません。 ただ、一軒一軒の家、一人ひとりのお施主様に対して、「律儀に、誠実に、本気で尽くす」。
そんな「まめまめしい人」でありたい。



